- 2018年07月15日
- こまブログ
3日目。連日暑いけど、まだセミの声はしない。
東京でお店をやりながら、ぼんやり考えていたことがある。
私は、何故お店をやりたいなんて思ったのかな?
昔を思い出しながら、お直し注文品のズボンの裾をまつりながら、つらつら考えた。
私が子供の頃、小浜にはたくさんの小さい店があった。
番傘屋さん、金物屋さん、和紙屋さん、研ぎ屋さん、漆屋さん、畳屋さん…
小さいお店も多く、豆腐屋さん、魚屋さん、八百屋さん、米屋さん、タバコ屋さん…
町家を歩くとガラス越しで作業場が見えたり、職人さんがいたりした。
お花の先生や、習字の先生。お茶の先生や、謡の先生。
市内には坂が少なくて、自転車があればどこまでも行けた。
今から思えば、本当に多種多様な人たちが住いでいた。
子供の頃はわからなかったけど、個性的な人も多かったと思う。
私にとっては、退屈しない楽しい街やった。
職人さんは無口でも優しい雰囲気が漂っていた。
今の小浜は、とても静か。
何となくざわざわしていた街も、今はひっそりとしている。
職人さんが住んでいた家は、跡形もなく、もう何処だったかすらわからない。
これが時代の流れと言うものなのか。
センチメンタルな気分の私の前を、子供たちの声が通り過ぎていく。
ああ、今の時代の子供達にとってはこの街が故郷になっていくんだ。
そう思った時、ふと、何かが弾けた。
いつの頃だか、よく行っていたお菓子屋さんがある。
そこにはおばちゃんがいて、声をかけてくれた。
何処のお菓子屋さんか、そのおばちゃんが誰だったかもわからない。
何を話したか、何で笑ってたのかも覚えていない。
それでも確かに、私の記憶の片隅にいるおばちゃん。
ああ、そうか。
私は、この小浜で、誰かの記憶の中のおばちゃんになりたいのだ。
ズボンの裾を仕上げて、地味な仕事だな、と思う。
こんな仕事でも、誰かの役に立てるなら、続けてみよう。
誰かが声をかけてくれて、私がいなくなっても、その誰かが覚えていてくれたなら。
たぶん、それだけで。私は嬉しい。
お店をやる理由なんて、そんなもん。
たいした理由なんて、無いな。